自己紹介

 第二次大戦酣の昭和19年3月都立江北中学を卒業、学徒動員の嵐の中で止むを得ぬ選択として高等商船学校に入学、そして敗戦後再開された商船学校を4年後卒業、漸く海技免状を手にはしましたが敗戦で日本商船隊は壊滅、日本近海は沈船累々。しかし幸い船舶運営会に就職することができたものの、最初に三等航海士として乗船命令を受けた船舶は爆撃を受け沈没寸前半壊状態の戦時標準船2TL型タンカー「勝邦丸」でした。

 昭和24年10月、民営還元ととも改装なった勝邦丸もろとも飯野海運株式会社に移籍、そして飯野海運での会社人間生活が始まりました。 ペルシャ航路のタンカー勝邦丸に三等航海士として乗船、そして、海上生活約1年で陸員に転籍、海務、営業、企画、経理、ニューヨーク、ロンドン勤務と充実した約半世紀を、飯野海運と日本海運界の興亡の渦のなかで過ごせたことは、望外の幸せでした。

 光陰矢の如しと申しますが、いつのまにか古希を迎え、平成7年6月飯野海運グループの総ての役職を辞任し趣味の生活に転身しました。

 東京南ロータリークラブ、クラブ関東、日本海運倶楽部ゴールデンスパ・ニューオータニ交詢社、情報クラブ「サロンドヴァンテアン」等に加えて、老後に備えて始めた囲碁で石倉囲碁教室、全日空ホテル囲碁サロン(現ANA INTERCONTINENTAL TOKYO)とか、妻と一緒の日本の名湯巡りで結構忙しい日々を送っていたところ、大変なことにはまってしまいました。

 それが、パソコン通信とインターネットです。東京南ロータリー・クラブの会報委員長を平成8年7月から1年間お引き受けした関係で、資料収集目的の為にやむなくイロハから勉強を始めたパソコンですが、技術の進歩のお陰で、専門用語を知らなくても全世界のロータリアンとの電子メールでの交流が可能となり、最近ではワープロ感覚でホームページが作れるのではないですか!尤も、未だに初心者段階でハードとソフトの各社サポート部隊を悩ませていますが、それも楽しみの一つです。

 子宝に恵まれなかった夫婦ですから、老妻と一緒の旅行も欠かすわけには参りません。平成9年7月下旬には北海道へ7泊8日の旅にでかけ、レンタカーで走り廻った600キロで北海道の大自然と広大さを堪能し、帰途は札幌/京都「トワイライトエクスプレス」の旅を楽しみました。函館山での記念写真をご笑覧下さい


*1: 稲葉八洲雄氏(神船大N・7、阪神パイロット)のホームページ
*2: 小生の似顔絵の原画です (サイズ 29,9k : 1998/4/16 )