天童温泉と  
  その源泉を探る




日 時 : 平成12年10月12日(水)
       山形新幹線 つばさ121号
      東京駅発 10:16
      天童駅着 13:13

宿 泊 : 天童温泉ホテル
囲碁会: 全員4局対戦
      優勝 宮舘参段
主 催 : うろうろ会
幹 事 : 大原 隆 君
   
ホテル玄関 朝市 第9号源泉
ホテル中庭 観光案内図 源泉中継基地
館内案内図 第9号源泉小屋 中継基地配管
全国屈指の将棋の里天童は、湯の香漂う温泉の街でもある。
天童温泉は、明治19年、一農民が灌漑用の水を採るため田園に掘削したのが開発の端緒となっている。
唯その時湧き出たのは、摂氏20度くらいの温度にすぎず量も少なかったが、明治44年になって山口勇助
という農民が掘った井戸から高温の湯が噴出し、藤の湯の看板で温泉一号となったのである。

当時は鎌田原と称され、一面茫々で人影もまばらな僻地であったが、そこにお湯が出たといので、瞬く間に
人が集まり温泉地としてのスタートが切られた。名称も鎌田温泉から津山温泉、そして天童温泉となり、
今日の基盤が造られたのは昭和30年以後である。それまでの天童温泉は、戦後のインフレに乗って客足
は増えていたものの、温泉への認識は浅く掘削の規制も確立されず、無政府状態であった。

従って、A旅館で掘ればB旅館のお湯が減る。C旅館に噴出すれば他に影響する。そのたび金がかかる。
おまけに旅館同士の疑心暗鬼は募っていく。その悩みの中から発酵したのが温泉の共同利用という着想
であった。昭和11年はじめての計画が誕生したが、業者間の軋轢等でみのらずじまいとなり、試行錯誤
が続けられた。旅館の建っていたのは東西に700メートル、その間に400本も掘られている。 そのうえ、
各源泉の相互干渉は激しく水位はどんどん下がる。危機感は高まり遂に大温泉ー集中管理の方式に踏み
切ることになったのが、昭和30年12月15日であった。

この日から組合員の権利義務は、法的に規制され相互扶助による協同組合が滑りだした。そして、各自
所有の源泉は組合に譲渡され、掘削、利用、配湯の権利は組合に帰属した。
かくて、温泉躍進の基盤は確定し、組合所有の源泉も8本、内3本に集中し揚湯しているのが現況である。
その深度は180〜200メートル、温度は62〜70度、総揚湯量は800リットルで集中管理前に比べて
大幅な増強となっている。
 (昭和49年6月20日発行「温泉やまがた」掲載、天童温泉協同組合理事長 阿部金一氏の遺稿より)

天童温泉を涵養する水資源は、貫津断層よりの浸透や古瀬川・正法寺川・乱川の伏流水・水田の潅水・
立谷川の伏流水等である。これらの浅層地下水が深層部に入り、60年から280年を経て暖められて温泉
として湧出しているので実に貴重なものなのである。従って地下水の流入が少なくなれば、温泉は枯渇す
るのである。 地下水の補給を阻害する水田の宅地化、ダム建設の良否、森林伐採、河床の固定化等に
重大な関心を持ち対策を立てなければならないのである。

現在の天童温泉源泉は、第6号泉(61.5度)、第8号泉(69度)、第9号泉(60.5度)の3本が主力で、それ
ぞれ配管で連結されて各旅館に配湯されています。 素晴らしい天童ホテルのお湯がどこからきているの
か、第9号源泉まで訪ねて写真に撮って来たのが、上掲の写真4枚です。